横浜市営バスあれこれ
路線・運用編第15弾
系統番号のない路線バス
その1:過去あった無系統番号のバス

 かつての系統紹介のページに書いた系統の中に12系統という系統があります。このバスは現在の12系統とは全く異なる系統で、保土ヶ谷駅東口(後に西口)から鶴ヶ峰というルートを走っていたそうです。運行本数は非常に少なく、1日1本だとか2本だったそうです。ちなみにこのバスルートはほとんどが相鉄バスと共通のルートになっていました。ちなみに相鉄バスとしては最初にバス路線ができた区間でもあります。

 さて、この(旧)12系統ですが、昭和43年に12系統という番号を現行の12系統のプロトタイプである横浜駅西口〜港北車庫(現在の緑車庫)間に譲りました。普通は廃止になってから番号が再利用されますが、この系統については12という系統番号を譲った後もバス路線自体は残ったのです。その後昭和45年まで約2年間、このバスは走っていたのですが、昭和45年度の交通局の資料によるとどうも扱いとしては無番系統の桐ヶ作線として運転されていたようです。と、いうことでこのページのタイトルのように無系統番号の路線があったということになります。

 さて、それでは何故(?)がついているかということになります。実は昭和44年の資料ではこの系統は104系統として扱われているのです。もっとも、これはミスプリのようでして104系統ではなく、105系統ということになるのですが・・・。

 何故ミスプリかというと、99系統以降がずれて書かれているからです。つまり、本来99系統である系統が98系統(この時点ではなかった)と書かれてしまい、以下1つずつ番号がずれてしまっているのです。ですから、ここで104系統と書かれている(旧)12系統の保土ヶ谷駅西口〜鶴ヶ峰線は105系統となるのです。

昭和44年度末の系統番号一覧表(97系統以降抜粋:ミスプリと思われるまま抜粋します)
系統
番号
運 行 区 間 主 要
経由地
担 当
営業所
97 根岸駅前〜根岸駅前 本牧三渓園入口、中小企業団地 磯子(本牧)
98 磯子車庫前〜桜木町駅前 間坂、根岸駅前、小港、麦田、尾上町、本町4丁目 磯子
99 鶴見駅前〜川崎駅西口 三ツ池道 鶴見
100 宮田町〜根岸駅前 浅間下、市庁前、間門 保土ヶ谷、浅間町、磯子(本牧)
101 滝頭車庫前〜洲崎神社前 八幡橋、浦舟町、浜松町、横浜駅前 保土ヶ谷、浅間町、磯子(滝頭)
102 磯子駅前〜滝頭車庫前 間坂、磯子警察署前 磯子
103 長津田駅前〜市が尾駅 下恩田 保土ヶ谷(港北)
104 保土ヶ谷駅西口〜鶴ヶ峰 今井橋、桐ヶ作下 保土ヶ谷

私の独断と偏見で直してみました

昭和44年度末の系統番号一覧表(97系統以降抜粋:ミスプリと思われる箇所は修正しました)
系統
番号
運 行 区 間 主 要
経由地
担 当
営業所
97 根岸駅前〜根岸駅前 本牧三渓園入口、中小企業団地 磯子(本牧)
99 磯子車庫前〜桜木町駅前 間坂、根岸駅前、小港、麦田、尾上町、本町4丁目 磯子
100 鶴見駅前〜川崎駅西口 三ツ池道 鶴見
101 宮田町〜根岸駅前 浅間下、市庁前、間門 保土ヶ谷、浅間町、磯子(本牧)
102 滝頭車庫前〜洲崎神社前 八幡橋、浦舟町、浜松町、横浜駅前 保土ヶ谷、浅間町、磯子(滝頭)
103 磯子駅前〜滝頭車庫前 間坂、磯子警察署前 磯子
104 長津田駅前〜市が尾駅 下恩田 保土ヶ谷(港北)
105 保土ヶ谷駅西口〜鶴ヶ峰 今井橋、桐ヶ作下 保土ヶ谷

 ちなみに、この時点で既に103系統という系統があったのです(現在の103系統は昭和46年3月に市電の代替路線として発足したものです)。昭和39年に磯子営業所が現在地に移転した際に磯子駅〜産業道路(その後間坂経由)〜滝頭車庫という路線として一日4本程度の運行だったそうです(早い話が磯子営業所から滝頭車庫(元の磯子営業所)への出入り用路線です)。昭和39年時点では市営バスの系統番号は84までだったのですが、いきなり飛んでしまったのです。その後4代目6系統が5代目になる際(6系統の過去を参照)に4代目が走っていた区間を104系統という系統番号のバスが走ったようです(運行開始、廃止日は現在調査中)。

 と、いうことで、一時的ではありますが100台の番号をつけたバスは出入りや免許維持(?)の為のバス路線に与えられていたということが考えられます。そうすれば(旧)12系統が105系統を名乗っていたということもおかしくはありません。ちなみに何故103以降になったかということは101、102系統という番号が当時トロリーバスが名乗っていた番号になるので、重複を避けるためだとすれば考えられます。

 はてさて、この系統がどういう扱いを受けていたのかはもうしばらく調査する余地があります。下の修正した表の系統番号が実は104までで、105のところが本当に無番として扱われていたのであればこのページのタイトルの(?)は消えることになります。もっとも、現状ではその可能性が高いかなぁと思っています。何故かというともう少々これらの資料をひもといていくと、105系統が運行を開始したのが昭和45年6月30日であり、この桐ヶ作線が廃止となったのが同年7月31日のことでしたから、1月の間両者が共存していたことになるのです。

 なお、市営バスの系統番号が100を正式に突破した昭和44年12月、トロリーバスと市営バスとで同じ番号のバスが走るのはどうかというためからか、トロリーバスの系統番号は廃止されたそうです。廃止後は単に循環内回り、循環外回りという呼び方になったそうです。市営バスの101系統とトロリーバスの101系統が違うところを走っていたのであればあまり問題はなかったのかもしれませんが、この両者は岡野町〜宮田町間で併走していたことから混乱防止のためにそうしたんでしょうか・・・。


(2000,1,23:追加、「市営バスメーリングリスト」の情報からです)

 1983年頃まで36系統のおまけ的な存在として無系統の「浅間町車庫〜八反橋」が運転されていたそうです。このバスは浅間町車庫を出ると浅間下、鶴屋町3丁目、青木橋と横浜駅西口を通らずに東神奈川駅西口まで行っていたそうです。方向幕は系統表示部と行き先部が別れていた車両では系統番号表示部は無表示となっており、大型方向幕の車両(1982年度車)は行き先だけの表示だったそうです。

 また、側面の方向幕は系統部分が、赤い四角のみでした。バス停の時刻表にも無系統と表記があったそうです。1時間に1本程度の運行だったようですが、東神奈川駅―浅間町車庫間は空気を運んでいる状態だったそうで、横浜駅西口を経由することになり、36系統に統合されてしまったそうです。

 ちなみに、このあたりのデータはまだはっきりとしていないため、今後調査をしていきたいと思います。


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