横浜市営バスあれこれ
車両編第5弾
三菱ふそう1992年度車

 横浜市営バスの1992年度車は前期と後期に分けられて納車されました。この年度の後期車から前面及び側面の方向幕に英文字の表記が併記されるようになりました。

 さて、タイトルになっている三菱ふそう車ですが、以下のような形で納車されました。

1992年度三菱ふそう車一覧
車両番号 登録番号 配属先 備考 前期/後期
2−2418 横浜22か77−65 本牧   前期
2−2419 横浜22か77−66  
2−2420 横浜22か77−67  
2−2421 横浜22か77−68  
2−2422 横浜22か77−69  
2−2423 横浜22か77−70  
2−2424 横浜22か77−71  
2−2425 横浜22か77−72  
2−2426 横浜22か77−95 リフト車
2−2427 横浜22か77−45  
2−2428 横浜22か77−46  
2−2429 横浜22か77−47  
2−2430 横浜22か77−48  
2−2431 横浜22か77−50  
2−2432 横浜22か77−51  
2−2433 横浜22か77−54 若葉台  
2−2434 横浜22か77−55  
2−2435 横浜22か77−56  
2−2436 横浜22か77−57  
2−2437 横浜22か78−39   後期
2−2438 横浜22か78−38 座席がリフト車タイプ
2−2439 横浜22か78−29  
2−2440 横浜22か78−30  
2−2441 横浜22か78−28  
2−2442 横浜22か78−43 本牧  
2−2443 横浜22か78−44  
2−2444 横浜22か78−45  

 前期車が19台、後期車が8台です。リフト車とか、座席形状がリフト車タイプになっている車両がありますが、一般的な車両には大きな変化はありませんでした。


1992年度車あれこれ

英文字表記のない頃の1992年度前期車
2−2419(本牧)
1993年2月:横浜駅東口にて撮影
(拡大できません)
英文字表記のない頃の1992年度前期車
最初から英文字表記のあった1992年度後期車
2−2442(本牧)
撮影時期不明:小港バス停付近にて撮影
(拡大できません)
最初から英文字表記のあった1992年度後期車
1992年度リフトバス
2−2426(本牧)
2001年5月:横浜駅東口にて撮影
(拡大できません)
1992年度車のリフトバス
系統番号と行き先表示部の別れている緑営業所の車両
2−2431(緑)
2001年1月:横浜駅西口にて撮影
(拡大できません)
緑営業所の前期車
座席がリフトバスのような配置の特異車
2−2438(若葉台)
2001年2月:十日市場駅にて撮影
(拡大できません)
座席がリフトバスのような配置の特異車

 さて、緑友会さんから、「神奈中バスには新型ボディなのに後期車よりもナンバープレートの番号の若い車両がいる」という情報をもらいました。調べてみますと確かに数台そういう車両がいることが確認できました。

後期車よりもナンバープレートの番号の若い神奈中バスの新型ボディ車
よ136(横浜)
2001年9月:大船駅にて撮影
(拡大できません)
1992年度後期車よりもナンバー番号の若い新型ボディ車

上の写真の次のナンバープレート番号の車両
2−2441(緑)
2001年3月:鴨居駅にて撮影
(拡大出来ません)
緑営業所の後期車
明らかに神奈中バスのナンバープレート番号より後の車両
2−2444(本牧)
2001年6月:桜木町駅にて撮影
(拡大出来ません)
本牧営業所の後期車

 確かに、上の神奈中バスは横浜市営バスで言うところの1993年度車以降のボディになっています。


 資料を見ると神奈中バスも横浜市営バスもボディは新呉羽自工製となっています(ちなみに、写真の神奈中バスのスタイルのボディはこの頃でも三菱自動車工業では作られていました)。

 歴史を調べていくと、三菱ふそう車は以前は直系のボディとして三菱自動車工業(以下三菱)ボディと新呉羽(以下呉羽)ボディの2つのボディがありました(他に例外として江ノ電バスなどで富士重工ボディ、西日本地域を中心とした西日本車体ボディなどがあります)。横浜周辺では横浜市営、神奈川中央、相鉄、川崎市などが呉羽ボディ、京浜急行(一部呉羽もありました)、東急などが三菱ボディを採用していました。

 1993年になり、車体の製造に関して再編が行われ、呉羽自工でも三菱ボディの図面でボディを作るようになりました(その後、両社の合併が行われ、現在では三菱自動車バス製造となっています)。


 上のことから、これらのバスは製造こそ横浜市営バスの車両の方が早かったものの、何らかの理由で(他のメーカーの車両の納車時期とあわせたとか、前期と後期で大きな変更はしたくなかったなどが考えられます)納車が遅れ、その間に後から製造された神奈中バスの方が先に登録されてしまったという感じでしょうか。

 ボディメーカーのモデルチェンジの境目で登場した神奈中バスの車両と市営バスの車両。横浜市営バスに入った車両はもしかするといわゆる呉羽スタイルのボディの最終ロッドだったのかもしれません。


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