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横浜市営バスは今では(営業用の)全部の車両が冷房車になっています。冷房車率が100%になったのは1990年の終わりくらいのことでした。1989年に開催された横浜博覧会を契機として冷房車両が増強され、実際横浜博覧会開催の頃には非冷房車は予備車になっていることがほとんどでした。ちなみに、これ以降横浜市営バスの車両は10〜11年程度で廃車となるようになりました(それまでは12〜13年程度使用していました)。
話を冷房車に戻しますが、冷房車がはじめて横浜市営バス(の路線バス)に登場したのは1979年のことです。この年の前期車は試作冷房車として当時存在した9営業所および2派出所に各1台、合計11台が導入されました。現在の若葉台営業所はこの時まだ存在していなかったため、試作冷房車は入りませんでした。
その時導入された車両は以下の通りです。
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登録番号(ナンバープレート)の番号を見る限り、各メーカーで一斉に導入したことがわかります。
試作冷房車の写真は個人的にも比較的翌撮影していたことと、「少し昔の車両たち」で何人かの方からご協力いただいたこともあって9−3618、9−3621、9−1528以外の写真が手元にあります(ほとんどの写真は「市営バスアルバム」内で掲載しています)。
ここでは改めて4メーカーの車両の写真を紹介しておきます。
試作冷房車(拡大は出来ません) | |
野庭営業所(当時は派出所)の 9−3620(右) |
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鶴見営業所(配属当初は生麦営業所)の 9−1527 |
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本牧営業所の 9−2531 |
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磯子営業所(この時は金沢派出所)の 9−4493 |
冷房車の導入に際しては路線バスではバス停間の平均間隔が約370mということもあり(つまり、それだけ頻繁に扉の開け閉めがある)、効果などを疑問視する声も多くあったようですが、技術面の進歩でその障害は克服され、現在の冷房化率100%に至っています。
冷房車は冷房車であることをPRするために夏場になると「冷房車」のプレートを表示していました。
冷房車のプレート |
今では全車が冷房車になったためにこのプレートはなくなってしまいましたが、神奈中バスの「ペンギン」マークと共にかつては夏場の風物詩というか、象徴的なものになっていました。
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Presented by 古屋俊和(Toshikazu Furuya) E-mail: tfuruya@bc.mbn.or.jp (なお、@は半角文字にしてお送り下さい) |