新羽町折返場(41系統) |
現在では地下鉄の駅が近くに出来、知名度も上がったかと思うのがこの新羽地区です。新羽と書いて「にっぱ」と読みます。地下鉄の新羽駅の近くには地下鉄の車庫、及び東急バスの新羽営業所があります。
地下鉄が出来る以前はこの近くに「新羽町折返場」という市営バスの折返場がありました。現在でも市営バスの幻の路線に近い存在である41系統の太尾新道経由線(新横浜駅〜太尾新道〜新羽駅)は新横浜駅から太尾新道を経由して新羽町折返場に行く路線でした。
1999年2月、たまたまこの近くまで来ることがあり、久々に行ってみました。取材日からかなり経ってしまったので、現在はどうか不明ですが、取材日時点の写真を見ながら当時を振り返りたいと思います。
新羽町折返場は大倉山駅方向から見て「新羽駅」バス停の次のバス停である「新羽町」バス停のすぐ近くにある『新羽十字路』交差点を左折し、小机方向に少し行ったところにありました。ちなみに、この十字路を右折すると東急バス新羽営業所に出ます。
新羽町折返場周辺図 |
1999年2月に行ったとき、この場所は下の写真のような駐車場になっていました。駐車場になっていたため、以前バスが走っていた頃とあまり変わっていないようにも感じました。なお、現在でも折返場の前は綱島駅〜小机駅、新横浜駅行きの東急バスが走っています。
1999年2月の新羽町折返場跡 |
手前の柵のあるところあたりにバス停があったように覚えています。あとは、乗務員用のトイレがおかれていました。
ここには昭和61年頃2回来ました。最初は時刻を調べに来て、そして2回目に太尾新道経由のバスに乗るためにここまで来たものでした。私が乗ったときの平日ダイヤでは朝方に太尾新道経由を含めて数本のバス(残りは鶴見駅行き)、そして11時代に何故か1本鶴見駅行き(これは鶴見駅発新羽町行きが折り返していました)、夕方に太尾新道経由のバスという布陣だったはずです(ちょっと自信がありません)。私が乗った太尾新道経由のバスは回送でここまで来て、私一人を乗せて出発しました。この時は途中からも何人か乗ってきたものでした。
この折返場が設置されたのは昭和43年11月11日のことです。この時点で既に41系統は鶴見駅西口〜中山駅で運転されていました(なお、佐江戸〜中山駅間は一時期貝の坂経由だったようです)。では、41系統に子系統が出来たために設置されたのかというと、そうではなくてここには新設された95系統(横浜駅西口〜新羽町:保土ヶ谷営業所所管)の終点として設置されたのです(もっとも、41系統の子系統もこの時設置されたようですが)。
ちなみに、この95系統は今の95系統とは全く異なる系統で、横浜駅西口を出ると青木橋、反町、東神奈川駅、六角橋、又口橋、小机駅と一般道路を経由して川向町で右折し、新開橋を経て新羽町に至る路線でした。今のように第3京浜を通るような路線になったのは昭和46年7月12日だそうです。
ついでに書きますと、41系統の太尾新道経由のバスの登場はそれよりもずっと後のことで、昭和56年5月の(現)港北営業所設置と同時のことになります。
折返場の廃止は地下鉄あざみの開業と同時の平成5年3月18日です。
95系統の話題が出たので、ちょっと前の第3京浜道路の路線バスを取り上げてみましょう。
95系統は新設から約3年間は一般道路を走る路線でした。なお、その頃第3京浜の保土ヶ谷IC〜港北IC(新開橋)間は相鉄バスが路線を走らせていました(昭和41年12月に路線免許がおりたので、42年の前半にはバス路線を走らせていたと思われます)。ちなみにこの頃は相鉄バスの黄金期(ちょっとオーバーかもしれませんが)で、横浜駅西口から横浜カントリーとか、(こちらはそれよりも後のことですが)新横浜駅という路線もあったようです。この路線の廃止時期は不明ですが、おそらく95系統と入れ替わる形で廃止になったのではないかと思われます。
さて、第3京浜にはもう一つ、東急バスも路線を走らせていました。東急バスが横浜駅西口〜東神奈川駅西口〜六角橋〜小机駅〜新開橋〜(玉川IC)〜上野毛駅〜二子玉川園駅という路線を走らせていたのです。新羽営業所が担当していたようで、主に日中に1時間に1本程度走らせていたようです。
この路線の特徴としては第3京浜上にバス停があったのです。高速道路上にいくつかバス停があったのを覚えています。
こちらは昭和57年頃(?)廃止されました。
以下に昭和40年代中頃(?)のバス路線をまとめてみました。
第3京浜の路線バス |
地下鉄あざみ野延伸によって出来た新羽駅(開業後約7年)ですが、既に廃止になってしまった路線があります。その跡を写してみました。
新羽駅に残るかつての路線の名残り |
「303・東急 研究所前」と書かれているのがおわかりでしょうか?(なお、下段は東急バスの勝田折返場行です)
かつて303系統には現在の路線の他に新横浜駅から大倉山駅、新羽町、新栄高校、大原を経由して北山田(後に研究所前)まで行く路線がありました。地下鉄あざみ野延伸後もしばらくは残っていたのですが、平成6年11月に休止となり翌年10月に正式に廃止となりました。まだその時の跡がこの駅のバス案内には残されています。