鉄町周辺(43系統他)

 鉄町と書いて「くろがねちょう」と呼びます。昭和27年12月1日に43系統が乗り入れをはじめ、その後一時期(昭和39年〜41年)は6系統、(旧)87系統(昭和41〜44年)も乗り入れてきていました。

 昭和59年にこの地区の路線の改変が行われ、43系統は「鉄町」の一つ手前の「上鉄鴨志田口(かみくろがねかもしだぐち)」で左折し、「鴨志田団地」、「長津田駅(現在は廃止)」、「奈良北団地」へ行くようになり、「鉄町」からは撤退しました。

 この「鉄町」について情報をいくつかもらったので、実際に行ってみることにしました。なお、取材日は1999年11月20日です。

(2002,−3,−3:追記)
 一部修正しています。


1.上鉄鴨志田口から鉄町へ

 現在、横浜市営バスは冒頭で書いたとおり「鉄町」の一つ手前の「上鉄鴨志田口」で曲がってしまいます。今回はここからはじめましょう。

上鉄鴨志田口バス停
上鉄鴨志田口バス停

 これが上鉄鴨志田口バス停(市が尾駅方向)です。すぐ近くに桐蔭学園があるので、バスの本数としては桐蔭学園行きが最も多く運転されています。なお、バス停に書かれている会社名の中に神奈中の文字がありますが、休日のみ1本運転されています。バス停の近くには交差点があり、1大ジャンクションになっています。

鴨志田口交差点
鴨志田口交差点

 手前が市が尾方向、奥が柿生方向、左に行くと青葉台に出ます。市が尾駅・桐蔭学園から柿生駅行きのバス(小田急、東急、神奈中)はこの交差点をまっすぐ行きます。市が尾駅・桐蔭学園から青葉台駅へ行く東急バスと、現在の市営バス43系統はここの交差点を左に曲がります。また、柿生駅方面からこどもの国、長津田駅、町田方面に行くバス(小田急、東急)は柿生方向から来てこの交差点を曲がっていきます。

 かつて市営バスはここから柿生方向へも走っていました。

(2002,−3,−3:追記)
 現在は新道ができたため、このあたりのルートが一部変更になっています。


2.鉄町

 柿生方向へしばらく歩いていくと「鉄町」バス停があります。市営バスはなくなりましたが、小田急、東急、神奈中バスは現在も走っているところです。

鉄町バス停
鉄町バス停(1)
鉄町バス停(2)

 現在では東急バスのバス停になっています。なお、上の写真ではバス停のすぐ先がT字路になっているのがわかるでしょうか?このT字路のあたりが横浜市と川崎市の市境になるのです。まさに横浜市のはずれのバス停になります。当時の43系統がここを終点にしていたのはそういう理由もあったからでしょう。


3.鉄町での折返場の考察

 この区間は私は柿生駅〜市が尾駅で2回ほどバスで通ったことがあるのですが、市営バスが走っていた当時どこで折返しをするのかよくわかりませんでした。そんな中情報を2つもらいました。ちなみに、その2つは同じところを指していないのです。実際に挙げてみますと、

実は、その一つ先にある川崎市の「早野」まで行って折り返しをしていた(鉄町のバス停のところでは折り返す場所がないからだと考えられる)。
ちなみに、早野のバス停まで営業運転していた。車内の案内テープでも「つぎは〜早野〜」と流されていた憶えがある。
折返しは早野の信号を右折して、すぐ鋭角にターンする感じで行っていた。
(昭和45〜50年頃)
折返場は、桐蔭学園から柿生方向へ向かい、鉄町バス停を過ぎて川崎市との境のすぐ手前を左折したところにあった。

 とまぁ2つの情報があるのです。恐らく、年代的な差があるだけでどちらも正しいと考えています。

(2002,−3,−3:追記)
 早野折り返しについては昭和30年代後半〜55年頃まで実績があるそうです。また、下のところについては鶴見川の河川工事をする前は川だったそうです(昭和40年代中頃)。

 実際に2つを簡単に見てみました。


4.早野周辺

 鉄町バス停からさらに歩いていくと次の早野(はやの)のバス停に着きます。バス停のすぐそばには実際に右に曲がる交差点がありました。

早野バス停と交差点
早野バス停と交差点
早野バス停(拡大)

 こちらは小田急バスのバス停になっています。

 さて、交差点まで行ってみましょう。ちなみに、交差点を右折すると王禅寺、虹ヶ丘に行くようです。

 交差点に行くと交差点のすぐそばになにやら空き地がありました。

交差点近くの空き地
早野交差点近くの空き地

 もしかするとここを使っていたのかもしれません。もっとも、情報をいただいた方からのメールでは昭和50年頃の話(今から約25年前)なので、何とも言えませんが。

(2002,−3,−3:追記)
 昭和51〜55年頃については上の「早野」バス停の隣にあるる石材店の建家が折返場(出発待ち)だったとのことです。


5.鉄町に戻る

 再度「鉄町」に戻ります。もう一つの情報を確認してみます。「鉄町バス停を過ぎて川崎市との境のすぐ手前を左折したところ」ということで、鉄町の写真紹介で取り上げたT字路が怪しそうです。

(2002,−3,−3:追記)
 既にふれていますが、このあたりはずっと以前は川であり、「鉄町」バス停付近には農業用水の取水用の堰(可動式)があったそうです。

鉄町近くのT字路
鉄町近くのT字路

 写真奥の方へ行く道路の左側が横浜市、右側が川崎市になります。この写真を見た限りではどこに折返場があったのかは確認できませんでした。


6.終わりに

 私がはじめて43系統に乗ったのが昭和57年11月のことでした。95系統にはじめて乗り、川和町まで行ったときにそこから中山駅に行く際に乗ったのが43系統で、側面の方向幕に書かれていた「鉄町」が非常に印象的だったのを今でも良く覚えています。

 「鉄町」が読めず、「これはなんて読むのだろう」というのが長年の謎でした。その後、気づいたら鉄町行きはなくなっていました。その後昭和61年くらいに今度は川和町から長津田駅行きに乗る機会があり、その時はじめて市が尾駅から先に行きました。そして「上鉄鴨志田口」に来たときに「つぎは、かみくろがねかもだぐち・・・」という放送が流れ、その時はじめて「鉄町」が「くろがね(「ちょう」または「まち」)」というのだということに気づいたものでした。

 今回、はじめて実際に行ってみました。横浜市と川崎市の市境を歩くことは他の場所で何回かありましたが、やはり歩いてみるとわかることも多く、なかなか面白いものでした。今後、またこのような場所をいろいろと取り上げていこうかなと思っています。


7.最新情報

 2000年7月に情報を頂きました。廃止直前の鉄町の折返場は、写真一番上の鉄町バス停写真の左奥のちょうど公園のようになっている場所だとのことです。

 なお、この辺りは現在新しい道路の建設及び切り替え工事を行っており、撮影当時と多少様子が異なってしまいました。

 2002年2月末に新たに情報を頂きました。今回この情報について追記しました。このあたりは道路の建設も終わり、新道に切り替わっているところもあるのでいずれ全面更新を行いたいと考えております。