43系統の移譲
43系統(管理人の思い出)

 他のページでも書いていますが、一部再録します。

 43系統に管理人が初めて乗ったのは昭和57年11月のことでした。95系統にはじめて乗り、川和町まで行ったときにそこから中山駅に行くために乗ったのが最初です。95系統の存在をその少し前に知り、第3京浜を走るバスと言うことで気にしていました。丁度その後間もなく市営地下鉄開業10周年を記念した一日乗車券が発売され(当時は一日乗車券は常時販売ではありませんでした)、乗りに行ったものです。

 乗って川和町という終点に着いたのは良かったのですが、はじめていった場所、おまけに当時小学生でその界隈の土地勘は全くないためどうして良いか少々途方に暮れたものでした。そしてたまたまやってきた「中山駅行」というバスにとりあえず乗ったという感じでした。ちなみに「中山駅」というのは更にその4年前、昭和53年に市営バス開業50周年という記念の一日乗車券が発売された際に管理人が管理人の父と一緒に乗り歩いた際に立ち寄った&同年に横浜線の旧型電車廃止時に行った場所のため、覚えていました。

 とりあえずやってきた43系統、側面の方向幕が「鉄町」と書かれており、このバス停の名前が強く印象に残りました。

 中学校に進学し、少しずつバスの乗り歩きを行うようになりました(まだ一日乗車券が常時販売していなかったため、回数券などを数枚ずつ使用していました)。ある時中山駅北口から33系統のたまプラーザ駅行に乗りました。川和町に来た時に後ろから43系統の長津田駅行が出庫してきました。当時は乗り換えるだけの回数券等を持ち合わせておらず、33系統に乗り続けました(その後、国道246号線の大渋滞に巻き込まれて中山駅北口からたまプラーザ駅まで1時間30分かかりました)。この長津田駅行というのが妙に気になったものでした。

 その後一日乗車券が常時発売されるようになり、またバスの乗り回しを一緒に回ってくれた友人も出来ました。ある時、個人的にずっと気になっていた43系統の長津田駅行に乗ることにしました。数年前と同じく中山駅北口から33系統で川和町へ移動し、乗り換えるのです。川和町での乗り換え時間は1分(33系統が14時59分に到着、43系統が15時00分発)なので、ヒヤヒヤしながら乗ったものでした。何とか間に合って長津田駅行に乗りました。

 市が尾駅より先の区間を乗車したのは初めてでした。その際「下鉄黒須田口」、「上鉄鴨志田口」バス停を通ったわけですが、そこで初めて「鉄」を「くろがね」と呼ぶことを知ったものでした。

 長津田駅までは50分以上かかった記憶があります(市が尾駅から国道246号線に入れば半分以下の時間で行けるはずです)。

 奈良北団地線は当初土曜日にも運行があり、土曜日にこどもの国から市が尾駅経由で横浜駅西口まで出るというような乗り継ぎも良く行っていました。

 桐蔭学園へ足を伸ばしたのは意外に遅くて港北ニュータウン営業所が出来て間もない頃でした。港北ニュータウン営業所が開設された時点ではまだ緑営業所の運用があり、緑営業所の車両で行きました。横浜上麻生線を走っていると反対側から元磯子の1990年度車が走ってくるのが見え、驚いたものでした。今思えば磯子方面から転属してきた車両の写真を一枚も撮影できなかったことが悔やまれます。

 寺家町は路線が出来て間もない頃乗ってみました。夜間の乗車のため最初に乗った時には何処をどう走っていたのかよくわかりませんでした。ヘッドライトの光で浮き上がる「← 43」と書かれた経路を確認する標識が印象的でした。また、「寺家町」から「中山駅北口」に方向幕を変える作業を「常盤橋」バス停あたりから開始したのですが、末端に増設された「寺家町」方向幕からどちらかというと前の方にある「中山駅北口」方向幕に変えるのにはものすごく時間がかかり、「中谷都」の交差点を過ぎてもまだ方向幕は動いていました。

 その後昼間に何度か乗車し、ルートも把握できました。寺家町循環は市営バスの43系統で最後に乗車した系統となりました。偶然にも寺家町に最初に行った時の運転士さんと同じ運転士さんの運転での乗車となりました。

 思い出話はいろいろとありますが、ここでは長津田駅行に初めて乗った頃の時刻表が出てきましたのでそれを整理して公開したいと思います。昭和60年代前半くらいの休日ダイヤで手元に残っていた中山駅北口、川和町、長津田駅のものをPDFファイルで作成しました。手元の資料を基にしたため中山駅北口と川和町は33系統と43系統の時刻表がまとまっています(実際の掲示時刻表が33系統と43系統で別れていたか記憶が定かではありません)。なお、当時の時刻表のフォーマット(手書きで書いていくもの)がたまたま手元にありましたのでそれを元にして作りました。フォーマットに手書きで書けばより当時を偲ばせられることが出来るかとも思いますが、管理人が悪筆なのと、手書きにするとその後の処理が少々面倒なためパソコンを使用しています。

 川和町の時刻表を見ていただくとおわかりの通り、14時59分のたまプラーザ駅行の後に15時発の長津田駅行がありました。また、長津田駅行はこの便を含めて4本しかなかったということもわかります。