43系統の移譲 |
43系統(簡単な歴史) |
43系統は昭和28年12月1日、中山駅前と鉄町を結ぶ路線として登場しました。中山駅は南口で、バスは川和踏切を渡りその先都橋を経由して青砥、貝の坂方面に向かっていたようです。
貝の坂から現在の横浜上麻生道路に入り、川和地区に入ります。この地区は港北区から緑区が分離独立した際、区役所が置かれ(元々、都筑郡川和町の役場、横浜市編入後は港北区役所川和出張所があったことから)、他にも現在の緑警察署、川和郵便局(本局筋の郵便局)、緑土木事務所、法務局などがある地域の中心街でした。ちなみに、現在の「川和町郵便局」バス停の近くに区役所などもあり、2007年3月に廃止となった港北ニュータウン営業所の大元である川和派出所も元々はこの役場の一角にあったとのことです(その後2回移転を行い現在の川和町折返場のところに移りました)。
川和町を出ると上市ヶ尾に至ります。東急田園都市線が開通し、市が尾駅が出来たのが昭和41年です。それまでは上市ヶ尾と呼ばれていたようです。現在の国道246号線を交差し、鉄町方面へ向かいます。このあたりは稲荷前古墳など、古墳が多いのが特徴です。そして行くと桐蔭学園の下を通ります。ここまで来ると終点はすぐそこです。鉄町バス停は横浜市と川崎市の区界に当たるバス停です。実際のところはバスはその一つ先の「早野」バス停まで営業をしていたとのことです(「早野」は川崎市麻生区になります。また、最終的には「鉄町」に折返場を設けていたそうです)。
昭和30年の記録(「市営バス史料館」を参照下さい)によると路線は延びて奈良町から鉄町間(川和経由)となっています。運行本数は8本で1往復するのに126分かかっているようです。ですから、片道では1時間ちょっとと言うところでしょうか。奈良町から鉄町ですと、神前橋のところを左折し、現在の日体大、中谷都を通って上鉄鴨志田口まで出ればそんなに時間はかからないはずですが、この所要時間と「川和経由」ということから中山駅を経由して川和を経て鉄町まで行っていたのでしょう。同様に23系統も奈良町から元石川(現在のたまプラーザ駅近く)まで行っていたようです。川和地区が地域の中心街であったため、バス路線も(本数はともかく)多く走っていたようです。
話を急に現代に戻しますが、最盛期は昭和61年からの数年間だったかと思います。その少し前に中山駅の乗り場が新設された北口に移動しました。また、昭和59年に先代の87系統を引き継いだ川和町〜長津田駅、及び中山駅〜鴨志田団地線が運行開始(この時点で鉄町行は廃止されました)しています。そして昭和61年に川和町〜奈良北団地線が運行を開始(当時は平日と土曜日の日中に運行)し、全線を直通する系統はありませんが中山駅から長津田駅、奈良北団地という路線(23系統の裏返し路線のような)となりました。
その後、港北ニュータウン営業所の設置、緑営業所の担当撤退、長津田駅乗り入れ便の廃止、奈良北団地発着便の土曜日運休などがありました。多少規模は小さくなりましたが色々な子系統のある系統でした。
寺家町へは2002年7月16日から乗り入れを開始しました。従来の鴨志田団地発着便を寺家町地区の循環線に変更したもので、この結果中山駅北口発寺家町循環中山駅北口行は全線乗ると20キロメートルを超えるという路線になりました(末端部の循環線ですが、一系統としてはこの時点での市営バス最長路線となりました)。
鴨志田団地発着便は平日については日中奈良北団地発着便(こちらは運行形態の変更はありませんでした)があったため平日は朝夕のみ、土休日は終日運行という路線形態でした。土休日は終日運行でしたが移譲直前の休日ダイヤでは2時間バスが来ない時間帯もありました。
市営バスの改革に際し、民間路線との乗り入れろ線、競合路線については民間に移譲していくという方針により43系統は移譲の対象となりました。2005年11月に一度ダイヤ改正が行われ、子系統が整理された後2006年3月18日から東急バスへ移譲されました。
この結果、寺家町への市営バス乗り入れは3年半強という短い期間となりました。