110系統の移譲
管理人のアルバムから(その3)

 ここでは少し年代が飛びますが、富士重5Eボディ車末期の110系統を紹介したいと思います。

110系統を走った富士重5Eボディ車
110系統を走った富士重5Eボディ車
110系統を走った富士重5Eボディ車
110系統を走った富士重5Eボディ車
110系統を走った富士重5Eボディ車
2000年1月:磯子駅前にて撮影

 2000年1月に撮影した富士重5Eボディ車による110系統です。独特の丸みを帯びたボディで管理人は好きな車両(グループ)の一つでした。また、以前弊HPで開催した車両人気投票でも日産ディーゼル車部門で1位を獲得したことから、同好の方の中でも人気があったものと推測しています。

 この頃、富士重5Eボディ車は磯子営業所に5両残すのみとなっていました。基本的には平日の61系統グループ及び113系統専属になっており、土曜、休日や平日でも他の系統に入ることはほとんどありませんでした。

 この写真は2000年1月のある土曜日、たまたま別なバスに乗車していたところを発見し、急ぎ磯子駅まで移動して撮影したものです。通常は動くことのない土曜日に110系統で入ったと言うことで驚いたものでした。バスはこの後杉田平和町まで行き、磯子営業所に戻ってきました。ちなみに、2枚目と3枚目の写真にちらりと写る白いバスは当時運行されていた磯子プリンスホテルへの送迎シャトルバスです。

110系統を走った富士重5Eボディ車
2000年1月:磯子営業所(公道上)にて撮影

 方向幕を110系統の横浜駅にしていたため、もう一往復走ることはほぼ確定でしたが、食事休憩に入ったようでなかなか出てきませんでした。

110系統を走った富士重5Eボディ車
2000年1月:横浜駅前にて撮影

 食事休憩を終えて110系統は出てきました。磯子車庫前から横浜駅前まで乗車しました。横浜駅東口バスターミナルでの一枚です。折返し磯子車庫まで行って運用終了というものでした。この車両がこの後横浜駅に姿を現すことがあったかは不明です。

 この時使用された8-4309号車はこの撮影から約2ヶ月後の2000年3月末に9-4533〜4535号車と入れ替わる形で廃車となりました。1988年度車は元々は英文字表記のない方向幕で導入されましたが、途中大半の車両が方向幕を英文字表記付きのものに交換していました。しかし、この4309号車と4311号車は最後まで英文字表記のない方向幕のまま走り続けました(以前の金沢派出所時代の方向幕を見ることが出来ました)。

 1998年度車は1999年度車導入時に5両のうちの3両が廃車となり、残りは2両となりました。残りの2両も同年8月には廃車となり、横浜市営バスの富士重5Eボディ車は(当時まだいたオープンバスを除いて)全廃となりました。