110系統の移譲
110系統(簡単な歴史)

  1. 路線の成り立ち
     
     110系統は番号が物語るように割と後年の設置路線です。元々はこちらも現在は京浜急行バスに移譲されてしまいましたが4系統が横浜駅前〜磯子駅前〜追浜間という路線で、その路線を磯子駅で分断して出来た路線が110系統になります。4系統は戦後間もない頃京浜急行バスとの乗り入れ協定を結んで横浜駅前〜磯子駅前〜六浦(当時)間の路線として誕生しました。京浜急行バスはその先堀内まで行く路線もあったようです。20キロ以上もある長大路線でしたが昭和46年に磯子駅で分断し、横浜方が110系統になりました。古い交通局の資料や最近になって何冊か出版された昭和30年代、40年代のバスの写真集などにその一端を見ることが出来ます。ちなみに、京浜急行バスも110系統を名乗りますが、番号がついたのは昭和60年代の話となります。
     
  2. 先代94系統との関係
     
     昭和30年代、磯子地区の交通はバス、ちょっと奥を走る京浜急行線と市電だけでした。市電は杉田線が現在の国道16号線を葦名橋(現在の芦名橋)から杉田まで結んでいました。現在の磯子駅から杉田にかけては市電の走る電車道が海沿いだったそうです(海水浴が出来る海岸)。昭和39年に根岸線が開通すると交通事情は一転しました。磯子駅が国道16号線から道路一つ分離れたところに出来たのです。バスは経路を変更することは容易に行えますが、路面電車はそうはいきません。結局市電の杉田線は根岸線開通から3年後の昭和42年に廃止(芦名橋まで短縮)となりました。
     
     その時、市電の代換え系統として94系統(初代)が新設されました。関内駅北口から杉田平和町までの路線で、京浜急行バスとの乗り入れ路線でした。市電にあわせて磯子駅には立ち寄らず、国道16号線をまっすぐ走っていたそうです。その後、この94系統は後から出来た110系統に統合されました。統合後しばらくの間は110系統に関内駅北口発着便があったようです。昭和50年代の磯子営業所車両の方向幕には「110 関内駅北口」が入っていました。
     
    昭和50年代の磯子営業所車両方向幕から抜粋
    (写真提供:ページご覧の方)
    110系統関内駅北口行方向幕
     
  3. 以前の杉田平和町
     
     現在、「杉田平和町」バス停から杉田方面に向かう路線バスは110系統のみになりましたが、以前は前述の94系統もそうですが他に68系統と先代81系統も乗り入れていました。68系統は現在も運行されている横浜駅西口〜滝頭間の路線ですが、以前はこの路線が滝頭から先、磯子駅(磯子車庫前)を経由して杉田平和町まで走っていました。やはり昭和50年代の磯子営業所車両の方向幕には、
       
    の方向幕が入っていました。
     
     また、初代の81系統は県庁前経由で横浜駅(東口)へ行く路線でした。杉田平和町から行くと中村橋までは68系統や110系統と同じ経路でしたが、このバスは「睦橋」を経由し、以降は76、98(当時)の系統と同じ経路で桜木町駅、以降はまっすぐ横浜駅前まで走るルートでした。管理人がこの系統を認識した頃には一日数本のみの運行になっていました。
     
  4. 金沢派出所担当
     
     「シーサイドライン」が開通する前までの金沢区の工業団地地域のための輸送の足は市営バスでした。新杉田駅から金沢工業団地へは最盛期には4つの系統が運行されていました。このため、磯子営業所だけでは効率も悪く、またスペース的にも厳しかったようで現在のシーサイドラインの車庫のある並木中央駅の近くに磯子営業所金沢派出所が設置されました。基本的には磯子駅、新杉田駅から冨岡バスターミナル、金沢工業団地方面へのバス路線(61系統、117系統、(初代の)121系統、(初代の)122系統、(初代の)123系統をメインに担当していましたが、他にも磯子営業所本所の所管する系統のダイヤも担当しました。前述の81系統は金沢派出所の最盛期は金沢派出所のみで61系統のダイヤに組み込まれて担当していました。110系統については110系統単独の仕業と81系統と同じく61系統のダイヤで横浜駅まで一往復した後、61系統などを担当する仕業があったようです。管理人の手持ちの過去のスターフには金沢車庫を出庫して回送で磯子車庫前、そこから110系統で横浜駅、折返し110系統の磯子車庫行で磯子車庫へ、磯子車庫からは回送で金沢車庫、食事休憩の後61系統で新杉田駅、新杉田駅からは鳥浜町を2往復、金沢車庫前まで1.5往復して入庫というものがあります。
     
  5. 最後まで「磯子駅」行だった方向幕(及びLED表示)
     
     現在、芦名橋方面から磯子駅へ向かう磯子営業所、本牧営業所のバスの行先表示は「磯子駅 磯子車庫」となっています。滝頭営業所担当の9系統の一部にまだ「磯子駅」表示で磯子車庫まで行くようなスタイルが残っているようですが、基本的には「磯子駅」止まりの9系統や京浜急行バスは「磯子駅」表示、磯子駅を経由して磯子車庫前まで行くバスは「磯子駅 磯子車庫」表示になっています。これは1996年に実施された交通局のモニター制度で管理人が提案したことでもあり、その後この表示が実施されて定着されたことから、管理人の意見が通ったのかなと勝手に考えています。
     
     ただし、110系統については実際には磯子車庫前まで行くものの最後まで「磯子駅」表示のままでした。また、「磯子車庫前」バス停の時刻表には「磯子車庫前」始発便の発車時刻が載っていませんでした(無論、磯子車庫前から始発便に乗車することは出来ました)。京浜急行バスとの協定だったのか今となってはよくわかりませんが、車内の案内放送は「磯子車庫前」行であっても行先表示はLED表示車両でも「磯子駅」のままになっていました。
     
  6. 「共通定期券 回数券 取扱車」
     
     110系統は京浜急行バスとの乗り入れ路線であったため「共通定期券」の取り扱いがありました。これは最後まで設定がありました。この「共通定期券」は110系統を走る横浜市営バス、京浜急行バスのどちらにも乗車できる定期券でしたが、逆に他の市営バスや京浜急行バスには乗れないというものでした。また、110系統には「共通回数券」というものもありました。これは「共通定期券」と同じく110系統を走る横浜市営バス、京浜急行バスのどちらにも乗車できる回数券でした。4系統は「共通定期券」のみの取り扱いでした。
     
     「共通回数券」は横浜市でも会社を跨いで利用できるようになった「共通回数券」が発売されたことで販売が中止になりました。各社で使用できる共通回数券発売前の車両の方向幕には「共通定期券  回数券 取扱車」という緑色の表示がありましたが、その後「回数券」の文字だけ消されました。
     
     なお、方向幕に文字が入る前は車両前面に「共通定期券 回数券取扱車」というプレートを「ワンマン」表示の脇に並べて表示し、走行していました。管理人の記憶が今ひとつ定かではないのですが、共通定期券のみの取り扱い車両は紺色に白文字、共通定期券と回数券の取扱車は白地に黒文字で書かれていた記憶があります。
     
    (2011/02/21:追記)
     このページを公開したところ、ページをご覧の方からプレートの写真を頂きました。早速掲載したいと思います。多少私の勘違いもありましたが、大枠は記憶の通りでした。
共通定期券、回数券取扱車のプレート
写真提供:ページご覧の方

(参考):共通定期券取扱車のプレート(イメージ)

共通定期券取扱車