バス停紹介:第1弾・起終点及びその先のないバス停:中区


山手駅前

20系統


山手駅前
山手駅前
山手駅前から豆口方向を見る
2005年2月、3月撮影
(写真をクリックしますと、拡大された写真が出ます)

(2005,−4,17:改訂)

 20系統の終点山手駅を取り上げてみました。1998年末に駅前の改良工事が行われ、バス停を含めた歩行者用のスペースが広くなりました。山手駅前というバス停は昭和39年5月に根岸線の桜木町〜磯子間が開業したときに出来たバス停(正確には既存のバス停の名称変更)です。しかし、20系統はこれよりも遙か昔から運転されていた系統です。

 20系統は昭和12年7月、保土ヶ谷(現在の保土ヶ谷駅西口付近)から豆口に至る路線として開業しました。他のページにも20系統については細かく記載していますが、運行開始当時は妙香寺前から現在の県庁前に至る区間が現在と大きく異なっていました。また、起点バス停についても保土ヶ谷より先元町橋(現在の元町橋交番)、そして蒔田野入口(現在の平和台)まで延長されていたこともありました。

 一方、終点側は当初は豆口まで行っていました。豆口というのは3枚目の写真のバス停の奥に写っている坂道を上ってしばらく行ったところになります。根岸線開通後しばらくして路線の再編が行われ、起点が横浜駅となり、終点が山手駅となりました。それ以降多少の変更がありましたが2005年2月までこのスタイルで運転が続けられました。

 2005年2月末に路線の変更が行われ、20系統は山手駅から山下ふ頭間の路線となり、小型車化されました。横浜駅発着時代は山手駅前から上野町間が行きと帰りでルートが違うこと(バス停は場所が違いますが同じ名前です)などから循環路線としてみなされ、山手駅の案内放送でも「終点でございます」とは言っていませんでしたが現在では山手駅前が終点となり、山手駅を越えての乗車は出来なくなりました。

 山手駅手前の区間は上記の通り行きと帰りとでルートが変わります。どちらも道幅の非常に狭い道路になっています。山手駅へ行くときのルートは商店街をまっすぐ突っ切っていきます。本牧通りからまっすぐ延びたこの商店街はもともとは射撃場の跡地です。明治時代、この周囲にあまり家などなかった頃(近くにキリンビールの工場はありましたが)に射撃場が作られ、そのために一直線の道路が残っているのです(かつて、現在の大和町電停(現在はバス停)は鉄砲場という名前でした)。

 逆に山手駅を出たバスは今度は曲がりくねった裏通りを走ります。山手駅を出た直後からカーブの連続となっています。


ページのトップに戻る
Presented by 古屋俊和(Toshikazu Furuya)
E-mail: tfuruya@bc.mbn.or.jp
(なお、@は半角文字にしてお送り下さい)