起終点バス停紹介:中区


根岸台

103系統


根岸台
↑ 乗車用バス停
2006年3月撮影
(拡大は出来ません)
根岸台
↑ 降車用バス停
2004年7月撮影
(拡大は出来ません)
根岸台
↑ 折返場
2006年3月撮影
(拡大は出来ません)

(2006,5,5:記述変更)

 根岸駅から不動下で左折、不動坂を上ったところで再び左折し、しばらく行くと根岸台折返場があります。折返場の裏手は根岸森林公園で、また左に行くと我が国最初の洋式競馬場であった根岸競馬場の跡があります(ちなみに、森林公園自体が競馬場の跡地になります)。また、さらに行くと今も残る米軍住宅があり、11系統の走る山谷あたりまでまで続いています。

 根岸の競馬場の歴史は古く、明治以前の慶応2年に開設されました。現在も残るスタンド部分は昭和5年に作られたものです。横浜市交通局は早くからこの競馬場への輸送路を確保したいと考え、当初は生麦方面から横浜駅を経て野毛、伊勢佐木町を通り山元町に至る市電3系統の路線延長を考えていたそうです。しかし、山元町から先はなかなか路線ルートを確保することが出来ず、市電の延長は結局出来ませんでした。その代わりに競馬場観客輸送を担ったのが市営バスで、通常の路線の運行を一部休止してまでその路線を走らせたそうです。ちなみに通常路線が10銭で乗れるところを何と4倍の40銭取っていたとか。

 市電での路線延長は出来なかったのですが、市電の廃止によって森林公園周辺から伊勢佐木町、横浜駅に向かう路線が出来ました。現在の103系統です。もっとも、103系統は出来て間もない頃(昭和46年3月運行開始)は根岸台の一つ手前の旭台が終点でした。その後昭和47年の8月に根岸台まで行くようになりました。この間の約1年半、旭台でバスがどのように折返しを行っていたのかが非常に興味がありますが、それは調べることが出来れば調べてみようと思っています。

 2006年3月末までは103系統の他に平日のみ21系統も乗り入れてきていましたが、現在はまた103系統のみ乗り入れるバス停となりました。折返場の写真は21系統が乗り入れていた末期のものです。