現在、Yループと呼ばれる130系統、131系統(都心循環線)は1989年3月25日、横浜博覧会の開催に合わせて桜木町駅を中心とした循環路線として運行を開始しました。1週約35分で、通常の循環バスとは異なり出入り時をのぞけばエンドレスという運行形態でした。そのため、運転手さんは途中で交代しながら乗務するという新しいスタイルで運行をはじめたものでした。もっとも、エンドレスタイプの循環路線は山手線のような鉄道線であればあまり問題はないものの、一般車両に混じって道路を走るバスではなかなか予定通りの運行は出来ず、1台出た後20分以上来なかったり、また2台連続してきたりなどということはしょっちゅうでした。
車両はこの路線のために専用車両が8台準備されました。担当が滝頭営業所であったので、日産ディーゼル車でした。そして、中型車でした。ボディは通常の富士重工のものではなく、西日本車体のボディが用いられました。現在でもそうかもしれませんが、関東での西日本車体ということでそれは非常に珍しいものでした。カラーリングは横浜市電の名車中の名車と呼ばれた1500型の登場当時のカラーリングと同様のものでした。
運行開始直後の都心循環車両 (他のページでも使用中の写真です) 拡大表示は出来ません。 |
車内にはいるとまず驚かされたのが当時はまだ全然普及していなかったワンステップのバスでした。また、変速機はこれまた当時の(国産の)バスではあまり聞かなかったトルコン式のオートマチックでした。
1995年に路線の変更が行われ、パシフィコ横浜〜パシフィコ横浜という経路になりました。エンドレスの循環運行は廃止されました。また、純粋に都心を走るようになったことから、逆に乗客が減ったという皮肉な結果も生みだしてしまいました。この路線変更に伴って車両のカラーリングが変更されました。沿線7つのスポットに広告料を出してもらい、車体全体を広告とするカラーリングとなりました。7台がそれぞれ違ったデザインの車両となったのです。減車となった1台は港北ニュータウン営業所に移り、88系統の専用車となりました。
みなとみらい地区の路線が多少変更になったものの、それから約4年半、この車両は都心循環を走り続けてきました。そうしているうちに車齢も10年を迎えました。1999年夏、港北ニュータウン営業所に移った1台が早くも廃車となりました。また、1999年末を持って車体の広告の期限も切れ、車両としての寿命もそれに合わせて切れることになりました。2000年3月末、CNGノンステップバスと入れ替わるような形で引退となりました。
廃車になった都心循環車両 (市営バスニュースにあるものと同じ写真です) (拡大は出来ません) |
ここでは現役当時(カラーリング変更以降)の写真を各車両について2枚〜3枚ずつ紹介していこうかと思います。