(写真提供:とくさん様)
(写真の拡大は出来ません)
ここでは、鶴見営業所にいた1981、1983、1985年度車の写真を紹介します。
1992年12月:鶴見営業所にて許可を得ての撮影 |
鶴見営業所の1981年度車(1−1556)です。大型方向幕になる前の車両です。
現在では鶴見営業所も港北営業所も同じサイズの車両を導入していますが、1985年度までは鶴見営業所の車両の方が車体長が長くなっていました。この写真でもおわかりになるかと思いますが、側面の方向幕のある窓の隣に幅の狭い窓が1枚あります。これが鶴見営業所の車両の特徴になります(転属車などは除外します)。
1992年12月:鶴見営業所にて許可を得ての撮影 |
鶴見営業所の1983年度車(恐らく3−1574)です。一世代前の18系統、72系統の専用車です。
いすゞの1983年度車は別のところでも記載していますが大型車の配属がなく、鶴見営業所の18、72系統専用車と保土ヶ谷営業所の31系統専用車(この頃31系統は保土ヶ谷営業所が担当していました)というナロー車のみでした。鶴見、保土ヶ谷ともこの前の専用車は1974年度製の車両で、登場当時はまだ寿命ではなかったのですが、これらの系統の冷房化が遅れることなどからこの車両と入れ替わりに廃車となりました。ちなみに鶴見営業所のこの前の代の車両はいすゞ製、保土ヶ谷営業所のこの前の代の車両は日野製でしたが、この車両(&次の世代の車両)ではどちらもいすゞ製となり、方向幕なども共通化されていました。
前面の方向幕が大きく張り出していたスタイルが特徴でした。18系統の循環・江ヶ崎という表記の方向幕も懐かしいです。
1992年12月:鶴見営業所にて許可を得ての撮影 |
いすゞ車4台の並びです。左から1−1379、8−1310、2−1394、5−1603(この車両だけ推定)となっています。ちょっと見にくいところもありますが、どの車両の方向幕も英文字表記がないのがこの写真の撮影時期を表しているかと思います。
左から2台目の「大黒町岸壁」は現在では「横浜さとうのふるさと」となっているところです。「大黒町岸壁」から一度「砂糖工場前」を経て現在の「横浜さとうのふるさと」とバス停名が変わり、それにあわせて方向幕も変わってきました。