市営バスアルバム


港北ニュータウン(地下鉄開業前)
303系統(港北)


303系統(港北)
↑ 1987年3月13日:北山田にて撮影
(写真をクリックすると拡大された写真が出てきます)
(この写真は他でも使用します)

 港北ニュータウンのバスの中では走行距離も長く、運行形態などに非常に特徴のあったバス路線です。1986年12月22日、東急バスとの相互乗り入れで新横浜駅〜北山田間の運転をはじめました。

 1日中30分おきの運行で、最初に市営バスが2台続けて出ると、次の時間は東急バスが2台続けて出るという運行形態(要するに、奇数時間帯が市営、偶数時間帯が東急のようにお考えください)でした。ルートは新横浜駅から新羽町までは41系統と同じルートで、新羽町の交差点を右折し、東急バス新羽営業所の前を通り、そこから東急バス勝田折り返し場行きのルートと同じ道を新栄高校北口まで行きます。新栄高校北口で左折し、新栄高校の前を通り、その次の交差点で右折、中丸バス停の先で右折し、現在のセンター南駅、北駅の所を通って北山田まで走っていたのです。この間約50分。北山田は東急バスの鷺沼駅〜すみれが丘線の終点すみれが丘のすぐそばです。

 新羽営業所庚申堀から新栄高校北口間は東急バスのエリアに新たに市営バスが入ったこともあり、東急バスのバス停を使用して走りました。また、30分〜90分おきの運転ということなどから単独でダイヤを組むことが出来ず41系統とペアで運用が組まれていました。

 バス路線はその後北山田の発展に伴い2つ先の研究所前まで延長となりました。研究所前からあざみ野方向に少し行くとコイン式の洗車場があるのですが、そこはかつてのバスの折り返し場の跡地です。また、バスのダイヤは東急側が少々変則的なダイヤとなりました。地下鉄のあざみ野延伸後はこの系統(港北担当)の他にセンター南駅〜新北川橋(港北ニュータウン担当)という路線が出来ましたが、いつしかこの新横浜駅〜研究所前という路線はなくなってしまいました。そして新北川橋系統は港北営業所に移管となり、現在に至っています。

 バスが出来てまもなくの1987年3月、新横浜駅から北山田まで乗ってみました。先に書いたとおりすみれが丘の近くということで貸切状態になることはありませんでした。この写真は今後「北山田の変遷」という所でも使用しますが、この当時は国道246号線から北山田、百石橋、そして綱島へ抜ける道路はまだ出来ていませんでした(現在の道路はこの写真の後方に当たります)。雨が降った後でここにやってきました。折返しまで10分以上あったのでバス停のまわりを歩いてすみれが丘の方まで行ったのですが、地面がぐちゃぐちゃで靴がかなり汚れてしまったことをよく覚えています。