(日産ディーゼル PR105:1972年度購入、1985年度廃車)
↑ 1985年3月:大桟橋バス停にて撮影 (本牧ふ頭行きの方向幕が懐かしいです) (写真をクリックすると拡大された写真が出てきます) |
↑ 1985年4月:本牧三渓園入口バス停にて撮影 (このあたりは今では首都高速の建設中です) (写真をクリックすると拡大された写真が出てきます) |
今まで、いろいろなバスを見てきた中で最もお気に入りの車両です。本牧営業所にはこの他に2台の同僚車両がありましたが、この車両が3台の中で最も番号が遅いことから最後まで現役として使用されました。
外見的な特徴はウインカーです。日産ディーゼル、三菱ふそう、日野についてはこの1972年度車まで写真のようなウインカー形状をしており、側面にもウインカー(下の写真の前扉の脇にあります)がついていました。また、車内的にはこの形式の車両まで後扉のブザーが違っており、今のブザーよりも甲高い音がしたものです。
この車両はエンジン音が好きでした。PR(105)型は日産ディーゼルでは2サイクルエンジン(これも独特の音を出していました)と現在までにつながっている4サイクルエンジン車両の変化の狭間に出た形式で、生産期間も短く、横浜市交通局では1971年度車・1972年度車でしか見ることが出来ませんでした。
私がバスによる通学を始めたのが1984年、何回かこの車に当たるうちにお気に入りの車両になりました。あるところで反対方向に走っていくのを見ると、そのバスが帰ってくる時間をだいたい計算してそれまでどこかで時間をつぶすということも結構していました。それだけ気に入っていた車両だけに、この車両が廃車になったときの寂しさはとても大きかったことを今でもよく覚えています。